2005〜2013年
涌井秀章の西武時代は、2005年から2013年までの9年間です。
高卒1年目でプロ入りし、3年目の2007年には17勝で初の最多勝。2008年はチームの日本一に貢献し、2009年には16勝6敗、防御率2.30で沢村賞を受賞しました。
一方、キャリア後半の2012年には抑えへ配置転換されて30セーブ。2013年終了後に国内FA権を行使し、ロッテへ移籍しています。
つまり西武時代は、「高卒ルーキー→若きエース→日本一→沢村賞→クローザー→FA移籍」までが詰まった、涌井秀章のキャリアの原点です。
涌井秀章の西武時代は2005〜2013年の9年間
涌井秀章は2004年ドラフトで西武から1巡目指名を受け、横浜高校から入団しました。
NPB公式記録を合計すると、西武での9年間は85勝73敗、37セーブ、1361回、1036奪三振。先発だけでなく、キャリア終盤には救援も経験しています。
| 年 | 年齢 | 登板 | 勝敗 | セーブ | 投球回 | 防御率 | 主な出来事 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2005 | 18〜19歳 | 13 | 1勝6敗 | 0 | 55回1/3 | 7.32 | 高卒1年目・プロ初勝利 |
| 2006 | 19〜20歳 | 26 | 12勝8敗 | 0 | 178回 | 3.24 | 初の2桁勝利 |
| 2007 | 20〜21歳 | 28 | 17勝10敗 | 0 | 213回 | 2.79 | 最多勝 |
| 2008 | 21〜22歳 | 25 | 10勝11敗 | 0 | 173回 | 3.90 | 北京五輪・CS MVP・日本一 |
| 2009 | 22〜23歳 | 27 | 16勝6敗 | 0 | 211回2/3 | 2.30 | 沢村賞・最多勝 |
| 2010 | 23〜24歳 | 27 | 14勝8敗 | 0 | 196回1/3 | 3.67 | GG賞 |
| 2011 | 24〜25歳 | 26 | 9勝12敗 | 0 | 178回1/3 | 2.93 | 先発ローテーション継続 |
| 2012 | 25〜26歳 | 55 | 1勝5敗 | 30 | 63回 | 3.71 | クローザーへ転向 |
| 2013 | 26〜27歳 | 45 | 5勝7敗 | 7 | 92回1/3 | 3.90 | 西武最終年・国内FA |
2005年|高卒1年目から一軍、プロ初勝利
2005年、18歳でプロ入り。高卒ルーキーながら開幕一軍に入り、13試合に登板しました。
1年目は1勝6敗、防御率7.32。数字だけ見れば苦しいスタートですが、高校卒業直後から一軍で55回1/3を経験しています。
まずは一軍で「プロの壁」を経験
高卒投手がいきなり完成形だったわけではありません。1勝6敗から、翌年12勝、さらに翌年17勝へ伸びた成長曲線が西武時代の面白さです。
2006年|2年目で12勝、先発ローテーションの中心へ
2年目の2006年は26試合に登板し、12勝8敗、防御率3.24。178回を投げ、一気に主力先発へ成長しました。
前年1勝から12勝へ。高卒2年目でこの数字を残したことで、翌2007年の飛躍につながります。
2007年|17勝で初の最多勝、21歳でエースへ
2007年は28試合に登板し、17勝10敗、防御率2.79、213回、11完投。
17勝はパ・リーグ最多で、プロ3年目にして初の最多勝タイトルを獲得しました。
チームは5位に終わりましたが、涌井投手個人にとっては「期待の若手」から「西武のエース」へ変わったシーズンです。
2008年|北京五輪、CS MVP、そして日本一
2008年のレギュラーシーズンは10勝11敗、防御率3.90。前年17勝と比べると数字は落としました。
ただし、この年は大舞台で強烈な存在感を見せています。
夏には北京五輪の日本代表に選出。シーズン後のクライマックスシリーズでは、第1戦と第5戦で勝利し、シリーズMVPを受賞しました。
特に日本ハムとの第5戦では、7回途中まで完全試合ペース。最終的に3安打完封で日本シリーズ進出を決めています。
日本シリーズ第1戦で上原浩治に投げ勝つ
巨人との日本シリーズ第1戦では、涌井投手が先発。8回を投げて被安打1、8奪三振、自責点0に抑え、西武が2対1で勝利しました。
西武は最終的に4勝3敗で巨人を破り、4年ぶり13度目の日本一を達成しています。
2009年|16勝・防御率2.30で沢村賞、全盛期の頂点
涌井秀章の西武時代を1年だけ選ぶなら、2009年が代表的です。
27試合、16勝6敗、防御率2.30、211回2/3、199奪三振、11完投、4完封。最多勝を獲得し、沢村賞にも選ばれました。
2009年WBCでも日本代表として世界一
2009年シーズン前には第2回WBC日本代表に選出され、背番号16を着用しました。
大会では3試合に登板し、1勝、防御率2.70。日本は大会2連覇を達成しています。
2010年|14勝、全盛期を高い水準で維持
2010年は27試合、14勝8敗、防御率3.67、196回1/3。
2009年ほどの圧倒的な数字ではありませんが、ほぼ200イニングを投げて14勝。ゴールデングラブ賞も獲得しました。
2007〜2010年の4年間で合計57勝。涌井秀章の「西武の若きエース」というイメージは、この4年間で固まったと言えます。
2011年|9勝12敗でも防御率2.93、先発として178回
2011年は9勝12敗と負け越しましたが、防御率は2.93。178回1/3を投げ、先発ローテーションを守りました。
勝敗だけを見ると下降したように見えますが、防御率3点未満で年間を通して投げています。
西武時代の涌井秀章の投球
パ・リーグ公式チャンネルによる2011年クライマックスシリーズの映像。西武の先発として投げる当時のフォームや雰囲気が分かります。
2012年|先発から抑えへ、55試合で30セーブ
2012年は西武時代の大きな転機です。
シーズン序盤は先発でしたが、その後救援へ回り、55試合に登板。30セーブを記録しました。
長年「先発のエース」だった投手がクローザーとして30セーブ。涌井投手の適応力がよく分かるシーズンです。
2013年|西武最終年、先発と救援を兼任してFAへ
2013年は45試合、5勝7敗、7セーブ、防御率3.90。
先発と救援の両方を担い、シーズン終了後に国内FA権を行使しました。
NPBの公示では、2013年12月18日に千葉ロッテマリーンズへの移籍が記録されています。
西武時代のタイトル・代表歴をまとめる
最多勝17勝10敗、213回。初の個人タイトル。
北京五輪日本代表・CS MVP・日本一短期決戦でエースの存在感を発揮。
WBC世界一・沢村賞・最多勝・GG賞16勝、防御率2.30。西武時代のピーク。
ゴールデングラブ賞14勝、196回1/3。高水準を継続。
30セーブ先発からクローザーへ役割変更。
国内FA権行使9年間在籍した西武を離れ、ロッテへ。
西武時代の涌井秀章は何がすごかった?
西武時代の涌井秀章を「沢村賞を取った投手」とだけ見ると、少しもったいありません。
1勝→12勝→17勝。21歳で最多勝へ到達。
2007年213回、2009年211回2/3。完投能力も高かった。
CS第5戦完封、日本シリーズ第1戦で勝利。
先発のエースからクローザーへ転向して結果を残した。
若くしてエースになっただけでなく、短期決戦、日本代表、そして救援まで経験しています。
現在の170勝という通算記録のうち、ちょうど半分となる85勝を西武時代だけで挙げたことも、この9年間の大きさを示しています。
西武時代を一言でまとめると「涌井秀章の原点と全盛期」
西武時代は、現在まで続く涌井秀章の長いキャリアの中でも、最も密度の濃い時期です。
高卒ルーキーとして一軍へ入り、21歳で最多勝、22歳で日本一、23歳で沢村賞。その後は先発から抑えまで経験し、最後はFAで新しい環境へ移りました。
「若い頃」「全盛期」「沢村賞」「最多勝」「日本一」「抑え」という涌井投手の主要な検索テーマの多くが、この9年間に詰まっています。
よくある質問
涌井秀章は西武に何年いた?
2005年から2013年までの9シーズンです。18歳で入団し、27歳でFA移籍しました。
西武時代は何勝した?
9年間で85勝73敗です。現在の通算170勝のちょうど半分を西武時代に挙げています。
涌井秀章が沢村賞を取ったのはいつ?
2009年です。16勝6敗、防御率2.30、211回2/3、199奪三振、11完投という成績でした。
西武時代の最多勝は何回?
2回です。2007年に17勝、2009年に16勝で最多勝を獲得しました。
2008年の日本一に貢献した?
はい。クライマックスシリーズでは2勝してMVPを受賞。日本シリーズ第1戦では巨人を相手に8回1安打、自責点0で勝利投手になりました。
なぜ西武を退団した?
2013年シーズン終了後に国内FA権を行使し、千葉ロッテマリーンズへ移籍しました。
