横浜高校 2002〜2004年
涌井秀章は、千葉県松戸市から神奈川の名門・横浜高校へ進学しました。
横浜高校といえば、松坂大輔をはじめ多くのプロ野球選手を輩出してきた全国屈指の強豪校。涌井投手も入学時から「松坂2世」と呼ばれるほど期待されていました。
高校2年春にはセンバツで準優勝、3年夏にはエースとして甲子園ベスト8。最後は2004年ドラフトで西武ライオンズから1巡目指名を受け、プロ入りしています。
この記事では、横浜高校を選んだ理由、1年生の頃の体格、成瀬善久との二枚看板、2004年夏の甲子園全4試合、恩師・渡辺元智監督、ドラフトまで詳しく振り返ります。
現在の涌井秀章本人
まず「涌井秀章はどんな選手?」が視覚的に分かるよう、本人・スタッフが撮影した公式Instagram投稿を掲載しています。
涌井秀章が進学した高校は横浜高校
涌井秀章の出身高校は、神奈川県の横浜高校です。
本人は後年のインタビューで、中学時代には複数の高校から誘いがあった中で横浜高校を選んだと振り返っています。
当時の横浜高校は、1998年に松坂大輔を擁して春夏連覇を達成したばかり。全国でも特に注目度の高い野球部でした。
入学時から「松坂2世」|先輩・松坂大輔は大きな存在
涌井投手は横浜高校入学時から高い評価を受け、プロフィール上でも「松坂大輔二世」と呼ばれていたことが紹介されています。
松坂大輔は横浜高校の大先輩で、1998年に春夏連覇。涌井投手が西武へ入団した2005年には、同じチームでプレーすることになります。
松坂大輔が横浜高校OB投手を選ぶ
本人公式チャンネルで、涌井秀章・成瀬善久ら横浜高校出身投手について語っています。松坂大輔本人の顔や、横浜高校OBとしての関係性も分かります。
高校1年時は183cm・72kg|かなり細身だった
高校1年時の涌井投手は、現在よりかなり細身でした。
当時のプロフィールは183cm・72kg。現在は中日公式で185cm・85kgなので、高校入学直後とは体つきがかなり違います。
1年生から注目
現在の体格
GOETHEの記事によると、2002年秋の神奈川県大会では1年生ながら背番号1を着け、1学年上の成瀬善久の後を受けて登板しています。
本人はまた、横浜高校入学直後の厳しい練習と寮生活で、1か月ほどの間に体重が約12kg落ちたと振り返っています。
2年春のセンバツで準優勝|成瀬善久との二枚看板
2003年春、横浜高校は第75回選抜高校野球大会に出場。涌井投手はまだ高校2年生でした。
この大会のエースは1学年上の成瀬善久。決勝までの4試合では成瀬が先発し、涌井が救援する形が中心でした。
横浜は盛岡大付、明徳義塾、平安、徳島商を破って決勝へ進出。決勝の相手は広陵でした。
センバツ決勝は2年生の涌井が先発
決勝では、それまで全試合で先発していた成瀬が左手人さし指の爪を痛めたこともあり、2年生の涌井投手が先発しました。
しかし広陵打線につかまり、3回2/3で6失点。横浜は3対15で敗れ、準優勝となりました。
恩師は渡辺元智監督|技術だけでなく心を鍛えられた3年間
涌井投手の高校時代を語るうえで欠かせない人物が、横浜高校を長年率いた渡辺元智監督です。
Numberの取材では、技術・戦術面を小倉清一郎氏が支え、精神面では渡辺監督が選手を鍛えたという横浜高校の育成が紹介されています。
涌井投手自身も、横浜高校では他の選手以上に走り込んだと振り返っています。
恩師・渡辺元智監督はどんな人?
横浜高校を春夏5度の甲子園優勝へ導いた名将。涌井秀章、松坂大輔らを育てた渡辺元智さんの姿が分かるテレビ神奈川公式動画です。
2026年8月に渡辺元智さんが亡くなった後、涌井投手は恩師について、プロ野球に入るための土台を作ってくれた存在だと語っています。
3年夏に神奈川大会を制覇|エースとして甲子園へ
2004年、3年生になった涌井投手は横浜高校のエースとして夏の神奈川大会を勝ち抜きました。
3年春のセンバツには出場できなかったため、高校最後の全国大会は夏の甲子園です。
横浜は3年ぶり11回目の夏の甲子園出場。涌井投手は投手としてだけでなく、打者としても印象的な活躍を見せました。
2004年夏の甲子園|1回戦は報徳学園、投打で活躍
1回戦は兵庫代表・報徳学園。
横浜は8対2で勝利し、涌井投手は完投。報徳学園打線から10奪三振を記録しました。
さらに打者として、2回に先制の2ラン本塁打。投げて打って、甲子園初戦の主役になりました。
2回戦は京都外大西|延長11回を1-0で完封
2回戦は京都外大西との投手戦になりました。
9回まで両チーム無得点。試合は延長へ入り、11回裏に横浜がサヨナラ勝ちしました。
涌井投手は延長11回を無失点で投げ切り、14奪三振。高校最後の夏を象徴するような投球でした。
11回完封・14奪三振
京都外大西の大谷侑との投手戦。0-0のまま延長へ入り、11回裏に横浜が1-0でサヨナラ勝ちしました。
3回戦は明徳義塾|147球を投げ切って7-5
3回戦は強豪・明徳義塾。
初回に3点を失う苦しい立ち上がりでしたが、その後立て直し、5・6回には5者連続三振。横浜が7対5で勝利しました。
涌井投手は147球を投げて完投。序盤のビハインドから試合を立て直してベスト8進出を決めています。
準々決勝で駒大苫小牧に敗退|高校最後の甲子園
準々決勝の相手は、南北海道代表の駒大苫小牧でした。
横浜は1対6で敗戦。涌井投手は7回まで投げましたが、駒大苫小牧打線に攻略されました。
この駒大苫小牧は、そのまま勝ち上がって北海道勢として初の夏の甲子園優勝を果たします。
2004年夏の甲子園成績を一覧で見る
| ラウンド | 対戦相手 | 結果 | 涌井のポイント |
|---|---|---|---|
| 1回戦 | 報徳学園 | 8-2 勝 | 完投・10奪三振・2ラン本塁打 |
| 2回戦 | 京都外大西 | 1-0 勝 | 延長11回完封・14奪三振 |
| 3回戦 | 明徳義塾 | 7-5 勝 | 147球完投・中盤に5者連続三振 |
| 準々決勝 | 駒大苫小牧 | 1-6 敗 | 7回まで登板、高校最後の甲子園 |
優勝には届きませんでしたが、3年夏はベスト8。2年春のセンバツ準優勝と合わせて、涌井投手は高校時代に甲子園の上位まで2度進んでいます。
横浜高校時代の写真はどこで見られる?
高校時代の写真を無断転載することはできないため、このサイトでは権利元の写真を直接コピーして掲載していません。
一方、Number Webには2004年夏の横浜高校時代の涌井秀章を撮影した写真付き記事があります。
現在と比べると、かなり細身で高校生らしい姿なのが分かります。
2004年ドラフト|西武ライオンズが1巡目指名
甲子園ベスト8から数か月後、2004年新人選手選択会議で、西武ライオンズが涌井秀章を1巡目で指名しました。
NPB公式のドラフト記録では、18歳・投手・横浜高校として西武の1巡目に名前が残っています。
高校時代からプロで活躍できた理由は?
高校3年間を見ると、涌井投手は最初から完成された投手だったわけではありません。
183cm・72kg。ボールに角度はあった一方、フォームには課題もあった。
成瀬善久を支える救援としてセンバツ準優勝。決勝先発も経験。
完投、延長11回、強豪相手の投球を経験し、西武1巡目へ。
名門の厳しい練習、甲子園での成功と失敗、成瀬善久という先輩投手との競争、渡辺元智監督らの指導。その全部を3年間で経験したことが、プロ入り後の土台になっています。
涌井秀章の高校時代をまとめると
涌井秀章の高校時代は、順風満帆だけではありません。
2年春のセンバツ決勝では大敗し、3年夏も準々決勝で敗退。それでも、その経験を積み重ねて18歳でドラフト1巡目指名を受け、プロ2年目から12勝、3年目には17勝で最多勝まで駆け上がりました。
40歳まで現役を続ける土台は、横浜高校の3年間ですでに作られていたと言えます。
よくある質問
涌井秀章の出身高校はどこ?
神奈川県の横浜高校です。2002年に入学し、2004年に卒業しました。
涌井秀章は甲子園に出た?
はい。2年春の2003年センバツで準優勝、3年夏の2004年選手権でベスト8まで進みました。
高校3年夏の甲子園成績は?
報徳学園、京都外大西、明徳義塾に勝利し、準々決勝でその年の優勝校・駒大苫小牧に1対6で敗れました。
甲子園でホームランを打った?
はい。2004年夏の1回戦・報徳学園戦で、2回に先制2ラン本塁打を放っています。
横浜高校時代の監督は誰?
渡辺元智監督です。涌井投手は後年、プロ野球に入るための土台を作ってくれた人だと語っています。
ドラフト何位でプロ入りした?
2004年ドラフトで西武ライオンズから1巡目指名を受けました。
