涌井秀章の若い頃がイケメン|ロン毛時代・全盛期の西武と昔の姿を振り返る

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涌井秀章
若い頃・全盛期
若い頃
涌井秀章の若い頃をざっくり整理
高校〜西武時代
高校横浜高校1年生から注目
ドラフト2004年1巡目西武が指名
プロ初勝利2005年高卒1年目
初最多勝2007年17勝・21歳
沢村賞2009年16勝・防御率2.30
検索で多い印象ロン毛・イケメン西武時代の若い姿

涌井秀章の若い頃を検索すると、「イケメン」「ロン毛」「かっこいい」「昔」といった言葉が一緒に出てきます。

実際、横浜高校から西武へ入団した10代後半〜20代前半の涌井投手は、現在より細身で、髪を長めにしていた時期もあり、印象がかなり違います。西武時代には球団の公式ポスターで顔のアップが使われるなど、プレー以外のビジュアルでも注目される存在でした。

ただ、若い頃の魅力は見た目だけではありません。高卒2年目で12勝、3年目に17勝で最多勝、23歳の2009年には16勝6敗、防御率2.30で沢村賞。見た目の若さと、すでに球界トップクラスだった成績が同居していた時期です。

この記事では、横浜高校時代、プロ入り直後、全盛期の西武時代、ロン毛で話題になった頃まで、涌井秀章の若い頃を時系列で振り返ります。

涌井秀章の若い頃が「イケメン」と言われる理由

「イケメン」は主観的な表現ですが、涌井秀章の若い頃については、ネット上で今でもその言葉と一緒に振り返られることが多いです。

当時の写真を見ると、現在よりかなり細身で、髪も長め。顔立ちもまだ少年っぽさが残っており、今のベテラン投手としての雰囲気とは別人のように見える時期があります。

特に西武時代の20代前半は、成績面でも球団の中心選手。2008年には埼玉西武ライオンズの公式戦日程ポスター第1弾に起用され、球団は「試合では見ることのできない表情のアップ」を使ったビジュアルを展開しました。

プロ野球選手としての実績が一気に伸びた時期と、若い見た目が重なっていたため、「若い頃がかっこいい」「昔の涌井がイケメン」と記憶しているファンが多いのも自然です。

高校時代は細身|横浜高校1年時は183cm・72kg

涌井秀章は千葉県松戸市出身。松戸リトルシニアから横浜高校へ進みました。

高校1年時から投手として注目されていましたが、当時は現在よりかなり細身です。GOETHEの取材記事では、横浜高校1年時の体格を183cm・72kgと紹介しています。

183cm・72kg細身ながら1年生で背番号1を経験
エースへ成長変化球の安定感・下半身の強さが向上
185cm・85kg中日公式の現在プロフィール

本人は後年のインタビューで、横浜高校入学直後は厳しい練習と寮生活の中で、1か月で体重が約12kg落ちたと振り返っています。

高校時代を振り返った本人の言葉

入学後の1か月で体重が12kgほど減った

スポーツナビのインタビューで読む →

若い頃の写真で「細い」と感じるのは、もともと身長のわりに体重が軽かった高校時代の体型も関係しています。

横浜高校3年で一気に完成度が上がる

高校1〜2年の頃から素材の良さは評価されていましたが、投手として大きく伸びたのは3年生になってからです。

2004年夏の甲子園では横浜高校のエースとして登板。1回戦の報徳学園戦では10奪三振で完投勝利を挙げ、打者としても本塁打を放ちました。

横浜高校時代を追った記事では、1年時にはまだ細く課題も多かったものの、3年時には下半身の安定感が増し、ストレートのスピード、変化球の再現性ともに大きく向上したとされています。

この時期の詳しい甲子園成績や横浜高校でのエピソードは、今後「高校時代・甲子園」の記事でさらに深掘りします。

18歳で西武ドラフト1巡目|「松坂2世」と呼ばれた高校生

2004年のドラフト会議で、涌井秀章は西武ライオンズから1巡目指名を受けました。

NPBのドラフト公式記録にも、横浜高校の投手として1巡目で指名されたことが残っています。

横浜高校の先輩には松坂大輔がいて、当時の涌井投手も「松坂2世」と呼ばれることがありました。

ただ本人は後年、松坂大輔について「憧れ」「雲の上の存在」と語っており、簡単に「松坂さんになりたい」とは言えないほど大きな存在だったと振り返っています。

西武入団時には、その松坂が同じチームに在籍。高校卒業直後の18歳にとって、かなり大きな環境変化でした。

プロ入り直後|18〜20歳はまだ少年っぽさが強い

2005年、高卒1年目から開幕一軍入り。3月29日にプロ初登板し、6月18日のヤクルト戦でプロ初勝利を挙げました。

1年目は13試合で1勝6敗、防御率7.32と苦しみましたが、翌2006年には12勝8敗、防御率3.24。いきなり先発ローテーションの中心へ成長します。

18〜19歳1勝6敗

高卒1年目から一軍。まずはプロの壁を経験。

19〜20歳12勝8敗

178回を投げ、一気に2桁勝利へ。

20〜21歳17勝10敗

213回、11完投。初の最多勝。

見た目はまだ若手そのものですが、20歳前後ですでに年間170〜200イニング級を投げています。

全盛期は2007〜2010年|21〜24歳で球界を代表するエースへ

若い頃の成績で最もインパクトがあるのが、2007〜2010年です。

17勝最多勝
213回
10勝北京五輪
日本一
16勝沢村賞
防御率2.30
14勝196回1/3
GG賞

4年間で57勝。特に2009年は27試合、16勝6敗、防御率2.30、199奪三振、11完投、4完封。沢村賞を受賞しました。

2009年・沢村賞受賞時

「めったに選ばれない賞なので、聞いた瞬間素直にうれしかったです」

埼玉西武ライオンズ公式で読む →

数字のピークとして見るなら、2009年は涌井秀章の代表的な全盛期シーズンです。

23歳・2009年の成績
沢村賞
勝敗16勝6敗最多勝
防御率2.3027登板
投球回211回2/3先発完投型
奪三振199自己最多
完投11うち4完封
年齢23歳若くして沢村賞

ロン毛だったのはいつ頃?西武後期に長めの髪型が印象的

「涌井秀章 ロン毛」で検索する人も多いですが、髪型に公式な開始時期があるわけではありません。

ただ、西武時代の後半、とくに20代半ば〜後半の写真には、髪を長めに伸ばした姿が多く残っています。若い頃の涌井投手を思い浮かべるとき、この長めの髪型を印象として覚えているファンも少なくありません。

2013年4月の西武時代の写真も、日刊スポーツの写真ニュースに残っています。

高校時代の細身で短めの髪型、20代前半の若きエース、20代後半の長髪気味のスタイルと、若い時期だけでも見た目の印象がかなり変わっています。

2008年は球団ポスターの“顔”に|見た目でもスター選手へ

2007年に17勝で最多勝を獲得すると、翌2008年には球団の公式戦日程ポスター第1弾へ起用されました。

埼玉西武ライオンズ公式によると、そのポスターは「選手のビジュアルを使用した内容」で、第1回目を飾ったのが涌井投手。顔のアップを使い、試合中とは違う表情を見せるデザインでした。

2008年公式ポスター
若きエースが球団のビジュアルにも起用

前年17勝の最多勝投手として、3・4月公式戦日程ポスターの第1弾モデルに選ばれました。

単に「ファンがイケメンと言っていた」だけではなく、球団側も若手エースをビジュアル面で前面に出していたことが分かります。

2012年は抑えへ|長髪イメージの頃に役割も大きく変化

若い頃の涌井秀章を振り返ると、見た目だけでなく投手としての役割も変化しています。

2012年には、それまでの先発中心からクローザーへ転向。55試合に登板して30セーブを記録しました。

26登板9勝12敗
先発中心
30セーブ55登板
クローザー
7セーブ45登板
先発・救援

「西武のエース」というイメージから、救援としてマウンドへ上がる姿へ変わった時期です。髪型の変化も含め、この頃は2007〜2010年の若きエース時代とはかなり雰囲気が違います。

西武時代9年間を年齢で見る

2005年・プロ入り高卒1年目から開幕一軍。6月に初勝利。

2006年・12勝2年目で先発ローテーションの中心へ。

2007年・17勝初の最多勝。213回を投げる。

2008年・北京五輪日本代表選出。西武は日本一。

2009年・沢村賞16勝、防御率2.30、199奪三振。

2010年・14勝全盛期の安定した成績を継続。

2012年・抑えへ30セーブを記録。

2013年・西武最終年シーズン後にFAでロッテへ。

この9年間だけでも、少年っぽい新人から、球界を代表するエース、そしてクローザーまで大きく変わりました。

2019年の公式Instagram|ロッテ時代の姿も比較できる

本人公式サイトでは、本人・スタッフが撮影した公式Instagramを掲載しています。

西武時代より後ですが、ロッテ時代の2019年の姿を見ると、10代〜20代前半の写真とはまた印象が変わっています。

公式Instagram
2019年・ロッテ時代の涌井秀章

本人公式サイトでも掲載されている公式Instagram投稿です。

若い頃から現在までを並べると、年齢だけでなく、所属球団や役割によっても雰囲気が変化してきたことが分かります。

現在との比較|40歳でも現役、若い頃とは別の魅力

2026年現在の涌井秀章は40歳。中日ドラゴンズで現役を続けています。

現在の公式プロフィールは185cm・85kg。高校1年時の183cm・72kgと比べると、長年プロで投げ続けてきた体つきの変化も分かります。

若い頃の「細身の若きエース」「長めの髪型」というイメージから、現在は長いキャリアを持つベテラン投手へ。見た目は変わっても、40歳まで一軍で勝利を続けていること自体が大きな特徴です。

涌井秀章の若い頃をまとめると

まとめ若い見た目+圧倒的な成績で西武のスターへ
高校横浜高校
ドラフト西武1巡目
初最多勝21歳・17勝
沢村賞23歳
髪型長めの時期あり
現在40歳・現役

涌井秀章の若い頃が今も検索されるのは、単に昔の写真が話題だからではありません。

横浜高校時代の細身の高校生が、18歳で西武に入り、21歳で17勝、23歳で沢村賞。若い見た目のまま、短期間で球界のトップ投手へ上がっていったインパクトがあります。

さらに、西武後期には長めの髪型やクローザーへの転向など、見た目と役割の両方が変化。写真を年代順に見ていくと、1人の選手のキャリアの変化がかなり分かりやすいです。

よくある質問

涌井秀章の若い頃はイケメンだった?

若い頃の涌井秀章は現在より細身で、20代には髪を長めにしていた時期もあり、ネット上では現在でも「イケメン」「かっこいい」と振り返られることが多いです。

涌井秀章の全盛期はいつ?

成績面では2007〜2010年の西武時代が代表的です。特に2009年は16勝6敗、防御率2.30、199奪三振、11完投で沢村賞を受賞しました。

涌井秀章がロン毛だったのはいつ?

公式に髪型の時期が記録されているわけではありませんが、西武時代後半の20代半ば〜後半には、髪を長めにした写真が多く残っています。

涌井秀章は何歳で最多勝を取った?

初めて最多勝を獲得した2007年は20歳から21歳になるシーズンで、17勝を挙げました。

涌井秀章は高校時代から有名だった?

はい。横浜高校入学時から注目され、3年夏にはエースとして甲子園に出場。2004年ドラフトで西武から1巡目指名を受けました。

出典・参考資料